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<<   作成日時 : 2013/01/17 12:11   >>

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(2013.1.17.)


モンゴルでは、ワイロは文化です。

この国の腐敗は、どうにもなりません。

私の妻は、元#33学校(フラワーホテルの前)で、民俗音楽を
教えていた教師です。

昨年9月から、UB市内にある、教育大学(公立)で、英語も教える
ことが出来る、「英語の教師のコース」に入学して、
この1月15日に卒業しました。

クラスは30人で、中途でやめたものは2人です。
毎日午後6時から9時まで、土曜日は朝9時から夜9時まででした。
日曜日は休みです。

授業料は150万Tgs(約10万円)です。

担当の英語の先生は、昨年9月に開始のとき、「卒業時に、私にくれるものは、
何が良いか考えておきます。現金が良いかな?あなたたちも考えておいてください。」

先進国では、その教師は「即、解雇」です。
そして、校長も責任を問われ有罪です。

モンゴル?
ここでは、賄賂は文化です。

さて、結局一人50,000Tgs だして、28人分の1,400,000Tgs(約8万円)
のノート・パソコンを贈与したそうです。
その教師の、3か月分の手取り給料です。

名目は「記念品」だそうです。

先進国では「社会的慣習、常識」に違反するので、「即、犯罪」です。

画像


そのほかに、一人2,000Tgsx28人=56,000Tgsの現金を「個人的な食事代」
として贈与しています。
その教師は学校から給料をもらっています。

先進国では犯罪ですが、モンゴルでは「当然のこと」です。

これは、文化ですかねえ??

私はこの、モンゴルの風習、文化は理解できません。
モンゴルでは、「公開の公務員募集、いっせい試験、採用」はありません。
賄賂&コネだけが採用基準です。
闇の分野です。

モンゴルの役所では、小さな個室が多いのです。
レンガを積み上げるだけで、建設が簡単です。
個室では、賄賂が自由に設定できます。

日本のように、役所が大広間だと、賄賂を防ぐことにもなります。

賄賂は、先進国では「犯罪」なのですが、モンゴルでは、病院の医者も、
学校の先生も、どこでも、賄賂は当たり前です。

娘の幼稚園も同じなのです。

賄賂を使えない貧乏人には、「豊かになれる、機会の均等」は無いのです。
貧乏人は永久に貧乏なのです。

だから、貧富の差が拡大しています。

私は、12年間、モンゴルで支援活動をして、モンゴル人が10人、
不祥事を起こしました。
解散した日本のIFCAは活動22年で、一度も金品の不祥事は起きていません。

モンゴルの文化、習慣は先進国の人々には、理解不可能です。

モンゴルの国土はとても美しいですが、

私は毎日、「モンゴル人は????????」です。 

学校を卒業しても仕事がないのに、
モンゴルの若者はなぜ怒らないのか?

ここの若者はおとなしいです。
さながら、去勢されたXXOOのようです。

豊かな地下資源があるのに、
行政のマネージメントの問題でしょうか?
優秀な人材不足のようです。
そのハザマで、苦難の生活を強いられている人々が大勢です。

なんとか、ならないでしょうか??

私は、煤煙がひどい、首都の、材木市場の雑踏の中で、
一人で、悩んでいます。

「なんとかしたい」です。

首都(120−130万人)の半分以上が住んでいるのゲル地区では、
多くの家族が月に100,000Tgs(6,500円)で生活しているのです。

そして、一日2食も、満腹できないのです。

モンゴルのの文化は「社会の利益=社会正義より、一族の利益が優先する」
のです。

「一族主義」は、草原の文化です。

草原では有効な文化も、都市では、国の発展の阻害の要因です。


人々が都市で集団生活をするためには、「社会、地域の利益が、一族の利益より
優先する」を実行しなければ、国の発展はありません。


また、妻たちは、一人100,000Tgsだして28人=2,800,000Tgs(約17万円)
の大きな液晶テレビを教室に寄贈したそうです。

そのようにしないと、「卒業証書がもらえない」なのです。

モンゴルの社会システムは、World Standardから、程遠いです。

私など「よそ者」は、このような事案に「絶望感でいっぱい」です。
果たして、このような国に住めるだろうか?

自宅のドアの外が「全く別の世界」なのです。

モンゴルでは、
草原で自由気ままに、勝手に生きていた人々が、都市(ウランバートル)
に集まっているだけの有様です。

地域社会がありません。
日本が、昔、貧しかったころでも、村落や、地域には、徒歩で行ける、
無料の「集会場」がありました。

自分たちの生活や、環境などを浴するため、問題解決の
相談の場所でした。

モンゴルにはその、無料の集会場がないのです。
集まる場所が無いのです。
だから、人々は、それぞれ孤立しています。

役所の言うのがすべて正しくなります。
「上から下だけ」の意思だけです。

モンゴルでは、「人間社会=近代的な規律や倫理」が乏しいです。

若い教養のある人は「おかしいよ」といっていますが、自分から変えようとは
しません。モンゴルでは、賄賂を使わないと生きてゆけないのです。
モンゴルでは賄賂要求に「いや、だめ」と拒否できないのです。

数百年前の国家のようです。
いやはや、国の体をなしていません。

本当に、情けない限りです。

私なら、このような勉強、授業は受けません。
「個の尊厳」です。

私の場合は、
「一人の人間として、妻のクラスの賄賂方法」は容認不可能です。

私は組織として、日本で8年間、毎週土曜日の朝、ホームレスに
炊き出しをしました。日本で一番多いときは、28,000人いたのです。

彼らは、街角で「お金をください」をしていません。
日本ではホームレスに金をやろうとしたら、
「いらない、俺はこじきではない」と怒られます。

モンゴルでは、誰でも彼でも「金をくれ」です。
多くのモンゴル人は、「倫理観」は、日本のホームレスより劣っているのでしょうか?

私は、モンゴルの発展のため12年間微力を尽くしましたが、
今回の件で、非常に、憂鬱になりました。

念のため、モンゴル人の友人の一人、第一回の日本政府招聘で、
5人のうちの一人、現在45歳(?)のNさんは、
「僕は絶対に賄賂を使わない」と孤高な人です。

立派な人もいます。

貧しくとも、不利になっても、「人間性を捨てない」人は、
尊敬できます。

参考に下記HPは私の体験です。
http://asiakids.at.webry.info/201111/article_6.html

モンゴル人は、「行動規範」をWorld Standardにしないと、
世界の潮流から「3等民族」とみなされます。

現状では、
この国が、近代国家になるには、Long way to goです。

モンゴルも早く、
World standardにならないと、外資も入ってきません。
仕事を作るためには、外国からの投資が必要です。

日本が欧米に200年ー300年遅れていた、明治初期、
欧米人が日本に来て、

「貧しいが、とても、規律正しい人々だ」と評しています。
有色人種で、世界で初めて欧米に追いついたのは、その日本です。

証拠は、
Made in Japanの軍艦、飛行機が、戦車が、欧米に負けず、劣らずでした。

人間社会が、
「子どもを作るだけ」では、どうにもならないのです。
その子どもたちが、自国で仕事がないので、家族とはなれて、
遠い、外国に行くのは、さびしいですね。

アジア人が、「職業研修」の名目で、ひどい状態で、日本で働いている現実と、
韓国で非人間的な環境で働いているモンゴル人たちは、

「現在の奴隷」です。

私が2年前まで住んでいた厚木(人口23万人)の350ヶ軒あった、繁華街には、
世界中から若い女性が働いていました。

おそらく、半分は違法なオーバー・ステイなどでしょう。
SEX産業に金を求めて、ロシア、コロンビアもアジア人に混じっていました。

フイリッピンには、日本人の男と、現地女性の間に生まれた子ども(Filipino)
が2−3万人もいます。
現地女性は、生活苦のシングル・マザーです。
個人と個人の問題は、政府も介入できません。

「今日だけ生きればよい。明日はしらない」の、貧困とは悲しいことです。

「身も心も貧しい」のは、人間性を無くします。

誰も否定できない、悲しい現実です。

「心」が貧しくなったら、「人間失格」です。

人間が集団で生活するためには、「決まりごとを守る」が必要です。
モンゴルは1990年に民主化、自由化されても、すぐには、
世界の標準にはなれません。

Capitalismとは「個人主義」です。
全体主義でも、一族主義でもありません。

「個人主義」とは、「自己責任」と同義語です。
モンゴルでは「個の尊厳」が乏しいのです。
モンゴルは、世界でもっともモラルが低いのです。

近代化、工業化には人々に「規律、モラル」が欠かせません。
放牧文化では、先進国に仲間入りできません。

反対に、先進国に達した後に、放牧産業は大丈夫です。
フランス、スペイン、スイスではその例です。
ここでは、一部の人が家畜の放牧をしています。

スカンジナビア半島の北んぽ「Laplannd」でも、トナカイの放牧をしています。

これらの地方では、放牧産業が全産業に占める割合が極端に小さいからです。
日本の農業も同じ理屈です。

日本の農家が豊かなのは、高度に発展した、工業やサービス業の恩恵なのです。

私は、自宅の白板に、

S + V と大きく書いています。

賄賂など要求されたとき、「私は(S)いやです」ができる用にするためです。
一人では、社会を変革する力にはなりません。

妻は「私一人ではいやと言えない」そうです。

今回も、非常に失望しました。
受講生は全員大学卒業者です。

それなのに、「賄賂を当然視する」のです。
これでは、自宅を出たら「いたるところ汚い、泥棒がいる」のは当たり前です。

モンゴルの現実は、とても、厳しく、失望の連続です。

一人では、できなければら、グループで決めればよいのです。
幼稚園や学校に、PTA組織を結成すれば良いのです。

すなわち、「地域社会」です。
民主主義のルーツを作るのです。

組織で役所に不正を正すのです。

モンゴルが民主的な、近代国家になるには、100年も、200年も必要かもしれません。

私のモンゴル人の友人(日本で博士号取得)は、「永久に出来ない」と言っています。

モンゴル人に必要なことは、
人々の、倫理、規律も、「衣食住足りて礼節を知る」の、古い、中国のことわざです。

日本では、借金を返すことが出来なく、自殺する人が、年間約8,000人です。
モンゴルでは、借金を返すことが出来なく、自殺する人は皆無です。

日本では「規律、倫理を守れない人は、生きられない」例です。

モンゴルでは「借金は返さないのが当たり前」なのです。

現実の結果は、

人々はどちらを選びますか?

どちらの国民が、外国から援助を受けていますか?






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